中世の温泉
前回は古代の温泉について解説いたしました。 温泉は古くから我々人間に利用されてきたことがお分かり戴けたと思います。
今回は温泉の歴史-2-として、中世の温泉について簡単に取り上げてみましょう。
源頼朝が1192年に鎌倉に幕府を開き、日本史的に見ると古代から中世へと変遷をたどります。政治の中心が京都から関東に移った鎌倉時代以降は、関東・東海・東北・甲信越などの多数の温泉地が文献上に登場してきます。また、史実としても多くの温泉地の様子などが伝えられています。
鎌倉時代には、「伊豆の走湯」と呼ばれていた熱海温泉・伊豆山温泉(静岡県)では、武士や高僧などが湯治したという記録が残されており、湯治場として機能していたことが伺われます。 また、上州の伊香保温泉(群馬県)でも、鎌倉時代に湯宿ができたと伝えられています。 同じく上州の草津温泉(群馬県)には、源頼朝が鷹狩りの際に入湯したという言い伝えが残されており、共同浴場の一つに「白旗の湯」という名称が残されていますが、定かなことは分かりません。 上州の草津温泉(群馬県)が歴史的文献に登場するのは、室町時代になってからです。高僧や歌人などが草津温泉を訪れている記録が残されています。
伊香保温泉の石段街
戦国時代になると、多くの温泉地に傷兵を温泉で治療したという記録が残されています。特に、甲信越地方には、武田信玄や真田幸村などの戦国武将の「隠し湯」と呼ばれる温泉地が数多く存在します。
草津温泉の湯畑
一方、古代の文献に登場していた西の地方の温泉地として、豊後の別府温泉郷(大分県)は、蒙古軍と戦った傷兵を治療したという記録が残されています。 また、摂津の有馬温泉(兵庫県)は、豊臣秀吉が愛した温泉地としても知られ、秀吉の浴場跡なども残されています。 有馬温泉では、大洪水で壊滅的な打撃を受けましたが仁西上人の手によって復興されたと伝えられています。その際、12の坊舎が造られ、今なお○○坊という「坊」という名の付く宿が残されています。 有馬温泉では、仁西上人や奈良時代に温泉を復興したと伝えられる僧行基に感謝して、毎年1月3日に「入初式」(いりぞめしき)という行事が350年近く続けられています。
有馬温泉の「入初式」
このように、中世の温泉地の多くは、武将や武士、そして僧などが盛んに利用したことによって、湯治場として発展したのではないかと考えられています。